新田神社(にったじんじゃ)

泰平寺(たいへいじ)


薩摩川内市は歴史の深いまちです。
東シナ海や九州三大河川の川内川があり、流域沿いに広がっているこの地域は早くから水陸交通の要(かなめ)として栄え、薩摩の中心地として発展してきました。

古くは「古事記」「日本書紀」に記された神話に登場するニニギノミコトの御陵(ごりょう)〔お墓〕といわれる可愛山陵(えのさんりょう)があります。

また、702年(飛鳥時代)には南九州の政治の拠点として、薩摩国府(薩摩国の役所)が置かれ、741年には聖武天皇の命令で薩摩国分寺が建立(こんりゅう)されました。700年代前半には「泰平寺」「新田神社」も建てられたといわれています。

万葉集(まんようしゅう)の歌人として名高い「大伴家持(おおとものやかもち)」が薩摩国府の守(長官)に任命され、また平安時代の学者で政治家であった菅原道真(すがはらのみちざね)が大宰府に左遷(させん)された後、密かに薩摩にくだり、東郷町の藤川で余生(よせい)をおくったとも伝えられています。

続日本紀(しょくにほんき)には、630年〜894年にわたって行なわれた遣唐使(けんとうし)の第14次遣唐船が帰り暴風にあい、第1船・第4船が甑島に漂着(ひょうちゃく)したと記されています。

有名なところでは、1587年、豊臣秀吉が九州征伐(きゅうしゅうせいばつ)でこの地を訪れており、泰平寺にて和睦(わぼく)が行なわれました。川内はんやまつりの武者行列は、泰平寺での島津義久(しまずよしひさ)と秀吉の和睦を史実に基づき、再現しています。

1602年には薩摩藩主・島津忠恒(ただつね)の招きに応じて、マニラのドミニコ会スペイン人神父フランシスコ・デ・モラレスなど5人が、船長レオン喜佐衛門の案内で甑島に来航し教えを広めましたが、その後川内市京泊(きょうどまり)に移り、1606年日本で最初の教会の一つといわれる京泊天主堂が建てられました。

キリスト教弾圧が始まると、平佐北郷(ほんごう)家家臣レオン七右衛門が、1608年殉教者(じゅんきょうしゃ)となりました。 また下甑村手打の西海岸を一望できる釣掛崎(つりがねさき)では、1638年頃にキリスト教信者が捕らえられ処刑(しょけい)されたと言われています。

歴史の教科書に出てくるような事柄が、ここ薩摩川内市でおこっていたなんて、みなさん知ってました?

 
     
  
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